ここまでOK?! CRT“ウラ事情”
Part.1〜“県域メディア”の中の「栃木放送」
“その情報、ホントなの?”と社員の方に質問されちゃうくらい
関係者よりも栃木放送のことに なぜか詳しい・・・
事情通のリスナー「さにい★ぼーい」だからできる、
フツーのリスナーさんでは なかなか知ることのできない
CRTの「ウラ情報」を“ちょっとだけ”ダベってみよーかな!
2000. 1. 8 開設
2004. 7.27 更新
【お断り】
“ウラ情報”といっても、一度は何らかの形(新聞報道や番組のON AIRなど)で
公になったことしか掲載しておりません…あしからず。
 『CRTの資本金と株主について』
 栃木放送の資本金は2001年当時7500万円、そのうちの約3割にあたる2250万円を出資しているのが栃木県で、同社の筆頭株主となります。下記参照) その他のおもな株主は下野新聞社や足利銀行をはじめ、地元の有力企業などです・・・
 ちなみに“7500万円”という額、他のラジオ単営局と比べても桁が一桁違います。1990年代の民放局(コミュニティーFM等は除く)の中で資本金が1億円未満の放送局はCRTだけでした。)
(2001.2.10/2006. 8.22 一部加筆・修正
その後、放送機材刷新を目的とした資本増強が行なわれた際、栃木県はCRTの要請に応じて新たに2250万円を出資し、引き続き筆頭株主となっています。同時に1億円の助成と1億円の無利子融資を実施しました。(2004.7.26 加筆・修正)
 『栃木県域の電波メディア3社は…?』
 ここ最近、栃木県域の電波メディア3社(栃木放送・エフエム栃木・とちぎテレビ)の社長に栃木県幹部OBが就任するパターンが続いていました。
 「栃木放送」と「とちぎテレビ」の場合は、いずれも県が筆頭株主となっているので“資本の論理”によるものです。「エフエム栃木」の場合は、これまで大株主の「足利銀行」と「栃木県」から交互に社長が選出されています。
20036月からは足銀の元常務が社長でしたが、同年11月に同銀行破たん・国有化をきっかけに辞意を表明。20041月より再び県の元・出納長が社長の座に就きました。
 県域テレビは行政からの人材がトップに座る場合が一般的ですが、
AMFMのラジオ局まで県幹部OBが社長に就くというのは極めて稀なことだそうです。「メディアへの行政介入」により、行政の問題を批判できなくなる恐れもあります。県民にとって不利益とならない運営を心掛けてほしいものです。

* 栃木放送の社長は、初代が東京日日新聞出身で下野新聞社社長の福嶋悠峰(武四郎)氏、悠峰氏の死去後は寿克氏が後を引きつぐ。寿克氏が業績不振の責任を取り1997年に辞任した後、栃木県職員OBの高橋英雄氏が就任。2005年6月より下野新聞の関連会社「下野テレビ映像」社長だった大洞 敬氏が就任した。】

(2000.5.30/2006. 8.22 一部加筆・修正)
 『那須水害と栃木放送』
 1998(平成10)年8月末、栃木県北部一帯を襲った集中豪雨の水害、みなさんも記憶に新しいところではないでしょうか。特に那須町では、たった2日間で“平年の降水量”の半分が降ってしまったくらいの豪雨…ふだんは水深数センチの“小川”である余笹川が河岸の畑や民家を飲み込み、一晩にして川幅50メートル以上の暴れ川に変貌…各所で電気・ガス・水道や道路などのライフラインが寸断され、被災地はパニック状態に陥りました。
 そのなかで活躍したのが“栃木放送”だったのです。
CRTは水害が発生した27日から5日間、水害関連ニュースを最大時で1日延べ約7時間も放送、各スポンサーの協力を得て「過去にない」特別態勢で報道しました。CRTは この功績が評価され、翌年の「電波の日」に関東電気通信管理局から特別表彰を受けています。
 また、現地を取材していたスタッフから「被災地でラジオが足りない」との声を受け、『携帯ラジオを現地に届けよう』とリスナーに呼びかけ、集まった数百台の携帯ラジオを被災地に届けました。
 水害発生当時、とちぎテレビは開局前でしたが…電気が使えない中でテレビを見るのはムズカシイでしょ?被災地住民の情報収集手段として“ラジオ”の強みが実証されたってことですよね。
(2000. 3.102004. 1.15 一部加筆・修正)
写真/改修工事が進む余笹川(黒磯市寺子付近)
 『下野新聞 と CRTの関係』
 栃木放送は1963(昭和38)年に“オール栃木”体制のなか、県内初の“電波メディア”として開局しました。…どこの地域でも、最初に開局した「ローカル放送局」というのは地元新聞社と結びついているものですよね。お隣りの茨城県にある“茨城放送”は、CRTと同じ年に開局した“同期”の局ですが、茨城新聞社のグループ会社なんです。栃木放送も…やっぱりそうなんですよ。初代の社長は当時の下野新聞社社長・福嶋悠峰(武四郎)氏です。【福嶋氏は東京日日新聞(現・毎日新聞)出身で栃木県の経済・政界において多大な影響力を持った…すごい人でした】

 開局当時は下野新聞社からニュース原稿を配信してもらっていました。(今の
RADIO BERRYなどと同じ状態ですね) そのほかにも、共同で『新聞とラジオによる高校受験講座』を開講したり、栃木放送が主催する総合住宅展示場「CRTハウジング」を後援してくれています。統一地方選など大きな選挙が行なわれる際には下野新聞とCRTで「合同集票センター」を立ち上げ、協力体制を組んでいます。本町交差点の角にあった「下野新聞社旧本社屋」の写真(昭和50年撮影)を見ると、交差点角の一番目立つ場所に「CRT」の大きな横断幕が掲げられていたようです。
 
ちなみに・・・栃木放送の大阪支社は、下野新聞大阪支社の中にある…その下野新聞大阪支社は毎日新聞社ビルの中にあるんだから…面白いですね。【CRT東京支社も毎日新聞社の関連会社所有の「パレスサイドビル」内にあります】
 栃木や茨城に県域ラジオ局を開局させるのはとても大変なことだったんですよ。〔そのことについては、また別の機会に〕
(2000. 2.19/2004. 7. 26一部修正 )
  『とちぎテレビ と CRTの関係』
 栃木県で最初に“県域テレビ新局構想”が持ち上がったのは1963(昭和38)年。1971(昭和46)年にはお隣りの茨城県と一緒にチャンネルが割り当てられました。開局したばかりの栃木放送は真っ先に名乗りをあげたのですが、その後 県外資本などが相次いで申請…結局17社が免許申請を提出しました。
 放送局の免許手続きは、電波法令に従い、
免許申請→免許の審査→予備免許→工事落成後の検査→免許交付という順序を経るのですが、栃木県の場合、「免許の審査」…つまり“複数申請の一本化調整”がうまくいかず、話し合いもまとまらないまま
30年近い月日が流れました
 ところが、
1996(平成8)年10月に県経済界の働きかけで最終調整会議が開かれると、栃木放送をはじめ全17社がすんなり申請を取り下げたんです。これを県や県経済界は“逆にチャンス”と受け止め、県外資本に頼らない「オール栃木」体制を唱えて同年12月、今度は県などを中心に準備委員会が発足、その後は一気に“第3セクター”方式での開局へと進んだのです。
 栃木放送は県域テレビ開局免許の取得を断念、「とちぎテレビ」に資本参加しました。

「とちぎテレビ」 主たる出資者及び出資比率  1997(平成9)年328
主たる出資者、出資比率、発起人等
出資者氏名等 出資比率 備考 出資者氏名等 出資比率 備考
向江 久夫 0.002 発起人 代表 - - -
藤井  清 0.002 発起人 服部 吉雄 0.002 発起人
栗原 義彦 0.002 増山 道保 0.002
早川 仁朗 0.002 八木澤一郎 0.002
豊田  計 0.002 吉澤  章 0.002
大江 敏夫 0.002 吉澤 兵左 0.002
青木  勲 0.002 大嶋 俊夫 0.002
板橋 敏雄 0.002 斎藤  榮 0.002
市川 秀夫 0.002 玉木 徳次郎 0.002
出口  昭 0.002 橋本 吉夫 0.002
栃木県知事
 渡辺 文雄
20.0 栃木県市長会
 会長 増山 道保
8.0
栃木県町村会
 会長 吉澤  章
5.3 (株)足利銀行 ※
 代表取締役頭取 柳田 美夫
5.0
(株)下野新聞社
 代表取締役社長 早川 仁朗
4.0 北関東綜合警備保障(株)
 代表取締役社長 青木  勲
3.3
(株)栃木放送
 代表取締役社長 福嶋 寿克
2.0   (株)栃木銀行
 代表取締役頭取 市川 秀夫
2.0
(株)毎日新聞社
 代表取締役社長 小池 唯夫
2.0   (株)ユーエスケー ※
 代表取締役社長 中津 正修
2.0  
栃木富士産業(株) ※
 代表取締役社長 栗原 義一
2.0   (株)コジマ
 代表取締役社長 小島 勝平
1.7  
(株)松井ピ・テ・オ印刷
 代表取締役社長 松井登士文
1.0   関東自動車(株)
 代表取締役社長 保坂 正次
1.0  
(株)陽南荘
 代表取締役社長 中村太三郎
1.0   東武鉄道(株)
 代表取締役社長 内田 隆滋
1.0  
東京電力(株)栃木支店
 支店長 菊池  孝
1.0   (株)シモレン ※
 代表取締役社長 斎藤  榮
1.0  
古河シーアンドビー(株)
 代表取締役社長 湯川  澄
1.0   アキレス(株)
 代表取締役社長 八木  健
1.0  
ステーキ宮(株) ※
 代表取締役社長 鈴木 栄一
1.0   日本電信電話(株)
 代表取締役社長 宮津純一郎
1.0  
元気寿司(株)
 代表取締役社長 遠藤 昇
1.0   その他       31.6 %
(資本総額    30億円)
(株)ユーエスケー/トヨタ自動車と業務提携し、「トヨタウッドユーホーム(株)」に社名変更。
ステーキ宮(株)/「株式会社 宮」に社名変更。
(株)シモレン/2002年に会社更生法を申請したが債権者の承認を得られず断念、特別清算手続き中。
(株)足利銀行/2003年11月、経営破たんにより国営化、特別危機管理銀行となっている。
栃木富士産業(株)/2005年11月、「GKNドライブライントルクテクノロジー株式会社」に社名変更。
(2002. 9. 7)

県の庁舎を再利用した本社屋 スタジオ棟の壁面に「TTV」のロゴが残っている
 『CRTのアナウンサーがなぜ…?』
 とちぎテレビを見ていると、いろいろな番組やCMに栃木放送のアナウンサーが出てきます……。「とちぎTVニュース」の鈴江晴彦アナをはじめ、「うたの王様」の野沢重昭アナ、以前は高橋晴夫アナや中山湖アナ、斉藤巌アナ、矢野健一アナも出ていました…。ナレーションなど“声だけ”の出演を入れたら数え切れないほどです。別にCRTからとちぎテレビに乗り換えたわけじゃないんですよ(^。^)。鈴江アナにいたってはCRTにもとちぎTVにも顔を出してますよね。なぜ別会社なのにこんなことができるのか…。
 ここで
CRTの子会社「栃放エンタープライズ」が登場します。詳しいことは書きませんけど、まぁ…子会社を通してアナウンサーをとちぎTVに派遣しているかたちなのです。ちなみにこの会社は栃木県の広報番組など、番組の制作もいくつか手掛けています。

 不況の夜明けが見えない中で開局した「とちぎテレビ」は、地上波デジタル化の完了めどとされる
2010年までに、できる限り黒字体質に近づけておきたいという思惑があり、スリムな経営が求められています。人件費は経費の中でもとくに大きなウエイトを占めますから、これを少しでも軽減させるためには有効な手段なのかな?
(2000. 1. 8/2004. 7.26一部修正 )




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